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道 Path とは

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Published 9 Dec 2022

お便りから 1a ご送付いただいた「Mountain Path」に Wasyl Nimenko が寄稿しておられるのを拝見いたしました。彼の「Carl Jung and Ramana Maharshi」と「The Spiritual Nature of Addictions: A Way Back to the Self」はいつか読もうと思って購入し、斜め読みしたままであったことを思い出しました。とは言え、まずは目の前のことに集中したいと思います。 高村光太郎が言う; 僕の前に道はない 僕の後ろに道は出來る そういういわば一人ひとりが自分自身の足で踏み固めたけもの道がPathではないのか、という気が私はしております。 返信 1a 「Mountain Path」の Mountain はアルナーチャら aruṇācala のことです: サンスクリットで aruṇācala अरुणाचल = aruṇa अरुण (red colour/ the dawn/ the sun) + acala अचल (immovable/ a mountain)。インド南部にある山で、古代から霊峰として崇められているが、近年ラマナマハルシが住んだことから、世界中の私は誰か?Who am I? の求道者たちに知られるようになった。サンスクリットの意味を、ラマナマハルシは次のように説明している。 「アルナ aruṇa は「炎のように赤い、明るい」という意味だが、この場合の炎はただ熱いだけの火ではなく、真智の炎 jñāna-agniである。アチャら acala は「山、丘」。従ってアルナーチャら aruṇācala は「真智の山(丘)」という意味である。 maharṣi gave the meaning of aruṇācala: aruṇa = Red, bright like fire. The fire is not ordinary fire which is only hot. This is jñāna-agni (Fire of Wisdom) which is neither hot nor cool. acala = a hill. So it means Hill of Wisdom.」 つまり純粋識 cit चित् (pure consciousness) にほかなりません。 Path は現象源=純粋識 cit चित् (pure consciousness) への帰還の道=回(廻)光返照であって、光太郎のような苦楽(快苦)転変するレベルの人間の模索の道ではないですね。 お便りから 1b 唯識三十頌に関して一つご教示いただきたいことがございます。W さんが作成されたテキストと一般に流布されている漢訳文の間に微妙な(形式的な)ずれがあるようですが、その背景を教えていただけませんでしょうか? 具体的には三頌と十四頌の間です。サンスクリット語の知識がないので判断できませんが、渡辺さんの意訳とティクナット・ハン師の英訳にはそのずれがないような気がいたします。漢訳は、「頌」ということで、五言絶句の漢詩文形式にしており、その漢詩の形式に合わせるために、このような微妙な(形式的な)ずれが生じたのではないか、と推測しております。仮にそのようなずれがあったとしても、それはあくまで形式上のずれで、全体として意味が変わった、ということではないだろうとは思いますが、気になります。それではよろしくお願いいたします。 返信 1b 『唯識三十頌』漢訳は、サンスクリットの完璧な翻訳ではありません。広く言うと仏典漢訳は原典(サンスクリットやチベット語)などからの、各漢訳者の能力・理解力に従っての苦労作ですね。『唯識三十頌』のサンスクリットの真意は、漢訳者や学者たちのレベルでは完璧に理解できていませんし、その意図するところを完璧に理解・解説できたのは、ラマナマハルシ Ramaṇa Maharṣi のような真正の解脱者にしかかなわなかったことです。「唯識」の意図するところは「All is One 一者」と不異で、これは解脱者にしかわからないことですので、アタマでの考察では到達できません。 - - - - - お便りから 2 1. 思いに気付き手放しましたら W 先生の導きのもと「教え」だけが浮き上がり…容器の中身の入れ変わりは到底不十分ではありますが勝手な考えを捨て出来る限り忠実にと…精進致します。 2. 初めて「思いを手放す」という word に触れた時脱力感と共に明るい光を感じ何故か泣けてきたのを思い出しました…覚触できないのは執着しているからだと思います。日々の瞑想と学修を続けられるよう導き下さり今は平安な心の状態が続くこと多く…そこに重きを置き次第に先への道が…と。作って食べようとして播種しても発芽しないタネとかかなり日数がかかるとかありますが何とか実えんどう赤花キヌサヤは伸びてきてほっとしております。 3. 学ばせていただいてきたことがまた今違う角度から染み込んでくるようです。覚触アーナパーナサティ…今から新たに修行が始まるかのようで…何とか冬季を乗り越えていきます。バナナのように春にはと……瞑想致します…。有り難うございました。 4. 全て thinking の中にいるのだと「思う」と…止まってしまって…。幼少期に与えられた玩具のピアノが始まりで楽器を好み下手ながら演奏と共にあらゆる思いが詰まる時期を過ごしてきた経験があります。専門学的に学ぶことはありませんでしたが…音と間のズレにはかなり敏感でしたし心理的に色々影響してきたのではと今は思います…音楽=幸福感でしたが…執着愛着だったと… 返信 2 ムービー「道 Path とは」のあちこちに返答が出ていますから。

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